まちと理性 ―商店街を知るための内視鏡的視座―

商店街内部(事務局職員)の視点で地域社会を考える

男社会とブラジャーの着心地

商店街という業界に飛び込んで、一番初めに私が抱いた疑問は

「なぜ商店街は男が運営しているのか」というものだった。

これは、私が所属した商店街に限らず、

全国の多くの商店街に共通して言えることで、

歴史的な経過を眺めても、女性主導で運営された

商店街組織というものは、極めて希であるようだ。

それ故に「女性部」とか「おかみさん会」という組織が

商店街内に設けられることが多い。

女性の組織は別枠だという意識があるからこその現象である。

 

しかし考えてみるまでもなく商店街は「お買物」をする場であり、

「お買物」をするのは大抵の場合、ご婦人方である。

にも関らず商店街は旦那衆が運営している。

もし男たちが「お買物」のことをしっかり理解できているのだとしたら、

男であれ女であれ、誰が運営しようと問題はないのだが、

私は、そうではないと思っていたので、疑問に感じたのである。

と言うのも、男には「お買物」のことが永遠に理解できない、

というのが私の持論であった。

もちろん例外もある。「お買物」をする男性は世の中に大勢存在するだろう。

いや、俺だって買物ぐらいするよ、

と反論したくなる男性も少なからずいるに違いない。

しかしながら私は思う。

男性の買物と女性の「お買物」は似て非なる、別ものなのである。

 

男性の買物と女性の「お買物」の違い。

それは、私が男性である以上、永遠に説明できないのだが、

それを承知で敢えて説明するならば、

男性の買物は、欲しいもの・必要なものが

手ごろな金額で入手できればそれで充分満足して完結する。

一方、女性の「お買物」はそれだけでは成立しない。

せっかく「お買物」をするというのに、

充分な比較検討もせず安易に納得したり、

お得な付加価値が得られないのは、

「お買物」としては楽しくない、つまらない、

という発想が常に女性たちの中にはあるらしい。

多くの男たちはそれを「くだらない」ものと一蹴する。

物品を購入するのに「楽しい」とか「楽しくない」とか、

そうした感覚は、あまりピンと来ないのが一般的であろう。

少し大げさに表現しすぎたかもしれないが、

こうした男女の意識の違いはしばしば指摘されるところであり、

日常生活の中で多かれ少なかれ思い当たる節があるのではないか。

 

逆立ちしても「お買物」の本質が理解できない男たちに、

どうして商店街の運営ができるのだろうか、と14年前の私は考えた。

まるでそれは、男たちだけで寄ってたかって

ブラジャーの着心地を論じ合っているようなもので、

滑稽この上ない姿に思えたのである。

その後、私は商店街組織の人間となり、

この疑問に対する幾つもの答えを発見してきた。

実は私が考える上記の法則は、

商店街を構成する各店舗にも同じことが当てはまる訳で、

結局のところお店の運営には

女性のセンスが欠かせない役割を果していることが多い。

経営者は男性であっても、お店を支える接客の機微の部分は、

おかみさんや女性店員が担っていることが少なくないのである。

そこで、店のことは女に任せて、

男たちが店の外で集り、商店街組織の運営を担うことになる。

 

さてここで、話はかなり飛躍するが、

上記の理屈は、人類が社会を築いてきた歩みとよく似ている。

子育てをはじめ家庭のことは女性にしかできないので、

役に立たない男たちが家の外で食糧を調達する中で、男同士の集団が

「社会」という利害調整の場を形成してきたのが人類の歴史である。

同様に、家庭の延長たる店舗において、出番の少ない男たちが集って

「商店会」が結成され、自分たちの利害を調整してきた歴史があった、

と私は考える。かなり飛躍した例えであることは承知の上である。

 

しかし、であるにしても、

世の中の半分は女性で構成されているはずで、

少なくとも商店街を運営する役員の半分は女性であるべきだ、

という私の主張は、ついに誰からも支持されなかった。

そもそも女性からの支持も得られないのだから、是非もない。

お店のおかみさんたちは、商店街の運営など構っている暇が無いし、

たぶん興味も無いのだろう。

規模は小さくとも商店街組織が一つの「社会」である以上、

そこは男たちの居場所だという暗黙の約束が、

本能的に女たちを遠ざけるのかもしれない。

いずれにしても商店街組織は男社会のままなのである。

 

男社会の商店街組織は、しばしば着心地の悪いブラジャーを企画する。

大抵の場合、そのブラジャーは女たちのダメ出しによって差し戻されるか、

手直しを余儀なくされる。

その繰り返しだ。

繰り返せば、幾らかマシなブラジャーが出来てくる。

そうやって商店街は何とか命脈を保ってきた。

歪みを是正する適正化の原理は、実は組織の外で機能しているのだった。

私が内側から商店街を眺めて来てたどり着いた

答えのひとつはここにあった。

 

通常、組織に歪みや偏りが生じてしまうと、大きなダメージにつながる。

しかし商店街の場合は、組織自体が最初から歪んでいて頼りにならない。

組織にしがみつこうともしないし、当てにもされていない。

それ故に才覚ある者が勝手に立ち上がって

再生を果しやすい余地も残されているのだ。

皮肉なことだが、組織の力が強すぎると

却って自由な振る舞いが許されず、適正化の原理が機能しづらい。

頼りにならない組織であろうとも、

それを補うダイナミックな適正化の原理が機能するならば、

そこにこそ商店街の強みがあるのかもしれない。

 

しかし私が奮闘してきた14年のあいだにも、

世の中は大きく変わってしまった。

女たちのダメ出しでは、もう間に合わないのである。

それほど消費者の意識は、急速に地域の小売業者たちを置き去りにして、

別次元のステージへ向かおうとしているように見える。

 

時代が通り過ぎたあとの滅びかけた商店街で、

まだ男たちは着心地の悪いブラジャーを考えているだろうか。

それとも着心地の本質を見抜いた誰かの才覚で、

見事に再生を果しているだろうか。

いずれにしても着心地を決めるのは女たちである。

才覚ある者が現れなければ、商店街も滅びる運命だ。

結局のところ、最後は人材ということになるだろう。

人の才覚、そして着心地の本質を知る確かな肌感覚。

明暗を分けるカギは、その辺りにあるような気がしている。

 

#地域社会 #商店街 #地域団体 #商工会