まちと理性 ―商店街を知るための内視鏡的視座―

商店街内部(事務局職員)の視点で地域社会を考える

閑話休題③ 地域情報難民

商店街の事務員を辞職してから、地域の情報が入って来なくなった。

閉店や開店する店の情報はもちろん、火事や事故、町の役員さんの訃報、

イベントや説明会、テレビ撮影の情報に至るまで、知らないことばかりだ。

考えてみると、商店街事務所という場所は、黙っていても地域の情報が

次々と舞い込んで来るところで、日々最新の情報にどっぷり浸かっていた。

しかし職場や地域の人々とあまり交流が無くなり、ただの住民になると、

途端にそうした情報から遮断されてしまった。当たり前の話である。

テレビやインターネット等で得られる情報は、社会一般の事柄ばかりで、

近所の出来事はもちろん何一つ伝えられない。

今こういう境遇になってみて、改めて思い知らされたわけであるが、

この状態こそが、むしろ普通のことなのであろう。

 

近所の出来事ほど情報が得にくいものは無い。

どこにも書かれていないのだから調べようがないのである。

仮に書いてあったとしても、ごく限られた告知によるものであり、

住民誰もが等しく受取れるような方法で知らされるものはごく希である。

自分から積極的に、街なかでキョロキョロとアンテナを張ってみても、

地域の情報は思いのほか見つからないものだ。

それよりも知人を通して口コミで広がる情報の方が、圧倒的に早くて多い。

但し、それらの情報は根拠の無いものばかりでリスクも大きいのだが。

家族もなく、友人知人もいない一人暮らしの老人なら、いくら努力しても

「地域情報難民」になるのは当然のことだろう。

この町に10年以上住んでいるが、そんな話は初めて聞いた、

という声を、時々様々な場面で耳にしたが、それはこういうことだったのか

と今になって理解できた。

 

では、一体どのようにして近所の情報を「噂」や「デマ」ではなく、

正しく適切に住民へ伝えたら良いのか、そこが深刻な問題だ。

地域の情報は、知らなくても一向に差し支えないものも多いのだが、

「噂」や「デマ」による誤解が広がることは避けなければならない。

間違った情報によって時に大事な判断を誤ることもあるからだ。

 

ここで話は飛躍するが、このことは、いま世界各地に出現している

偏向思考の指導者たちの台頭と無関係ではない、という気がしている。

彼らを支持する人々は「地域情報難民」と似た状況にあるのではないだろうか。

「噂」や「デマ」と同質のフェイクニュースが社会に蔓延し、氾濫した結果、

適正な情報は相対的に希少化され、探し出す手間がかかるようになっている、

と巷のあちこちで指摘されている通りである。

今やマスメディアですら、情報提供者としての役割を果せていない有り様だ。

大本営発表が白々しくなった時、人々が神風を信じてしまったように、

もはや一部の大衆は正常な判断ができる精神状態にないのではないだろうか。

 

このように質の高い情報からの隔絶が妄想と狂気を生み出すのだとすれば、

地域社会の合意形成が困難を極めるのも当然のことだろうと理解できる。

非論理的な思考回路の人々が地域社会で一定の割合を占めているのは、

適正な情報が行き届いていないことに一因があるのかもしれない。

従って、地域情報と同じくらい社会一般の情報が質を低下させた時、

国家や組織の合意形成もますます困難になっていくことだろう。

 

例によって話が飛躍しすぎたので、もうこの辺で妄想はおしまいにしよう。

このブログも、妄想と狂気の量産に加担する類いに違いあるまい。

 

#地域社会 #地域組織 #情報難民 #フェイクニュース