まちと理性 ―商店街を知るための内視鏡的視座―

商店街内部(事務局職員)の視点で地域社会を考える

機敏で柔軟な地域力の記憶

以前このブログで、商店街組織や地域社会の議論不足について触れた。

商店街創設期、創業者たちは繰り返し議論を重ねたはずだが、

後継者たちは、その議論の成果を継承して来なかったのだと書いた。

このことは、かつて零細小売商の強みだったはずの柔軟さや自在さが、

近年すっかり失われてしまっていることと無関係ではないように感じている。

 

商店街が地域商業の中核を担っていた時代、周辺環境の変化や

競合店の動きなどに目聡く反応して、大胆に取扱商品を一変させたり、

業種業態まで変えてしまう店舗も珍しくなかった、という話を聞く。

こうした機敏で柔軟な対応は、かつて零細小売商の得意とした戦術で、

むしろ大資本の方が小回りの利かない業態だったはずである。

ところが今は、まったく逆転してしまっているような印象を受ける。

零細小売商はいつまでも従来の方法に固執して旧態依然としている一方、

大手ショップは大胆に店舗形態をチェンジして時代の変化に対応している。

創業者には容易だった業種転換も、後継者には抵抗があるということなのか。

もちろん自営業者には雇用保険のような補償制度がないから、

サラリーマンが転職するように自由な動きは取りづらいだろう。

社会が複雑化、専門化したことも柔軟な対応をいっそう困難にしている。

しかしその一方で、まちの中には新しくて面白いことを始めようとする

たくましい動きが各地で芽生えており、鈍感な地域小売商を尻目に、

やる気ある仲間だけで、できることから形にしていく活力を感じることも多い。

また技術の進歩により、そうした取組みを容易にするツールも近年充実し、

彼らのチャレンジを後押ししている側面も大きいだろう。

まちが潜在的に秘めるこうしたたくましさが、やがて無視できない力となり

既存の地域小売商の姿を変えていくエネルギーに育っていくかもしれない。

そうした可能性に期待を寄せる人々も少なくないようだ。

 

藻谷浩介対談集『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社、2014年3月)

所収、新雅史氏との対談「「商店街」は起業家精神を取り戻せるか」の中で、

まちの「アントレプレナーシップ起業家精神)」という言葉が提示される。

これは、新たに起業するという意味に留まらず、商人が状況に応じて

イチからやり直す、自在に環境の変化に対応していく柔軟なバイタリティも

含めての「起業家精神」なのだろうと思いながら拝読した。

 

敷かれたレールの上なら或る程度の惰性で走ることができる。

但し、レールの方向にしか進むことができない。

自力で道なき道を走るには、膨大なエネルギーが必要だ。

但し、思った方向にどこへでも進むことはできる。

目まぐるしく環境が変わってしまう時代となり、

レールを敷設する効率効果が得られにくくなっているのだとしたら、

頼るべきは自分の足であり、目聡く変化を嗅ぎ分ける嗅覚なのかもしれない。

近代家族経営モデルの崩壊が、次にどんな時代を作っていくのか、

という問題とともに、このテーマには再び触れることになるだろう。

 

#地域社会 #商店街 #地域小売商 #近代家族経営モデル