まちと理性 ―商店街を知るための内視鏡的視座―

商店街内部(事務局職員)の視点で地域社会を考える

商店街活性化という呪文(その1)

商店街の中にいて、いつも不思議に思っていたのだが、「商店街活性化」

という言葉は、どういう訳か、商店街内部ではほとんど聞くことがない。

外部の人は好んで用いる言葉なのに、

商店街の当事者は、滅多にこの言葉を口にしないのである。

私自身も、実はほとんど使ったことがない。

もし使う場面があるとすれば、それはどちらかといえば否定的な場面で

他人の口から出る言葉として使われることが多い。

例えば「商店街活性化のために、と言って業者から提案があったけど、

的外れな内容なので断った」といった使い方である。

それは、商店街のためであることを前面に押し出して、

外部の人間が近づいてくる時のお決まりの言葉なのである。

外部の人間とは、官公庁の役人だったり、業者だったり、常連客だったり、

立場はさまざまだ。

本気で商店街を活性化させようと思ってやって来る人もあれば、

活性化のメリットを口実にしているだけの人もいる。

外部の人が使うには、確かに便利な言葉なのかもしれない。

 

しかしなぜ、商店街の当事者たちは「活性化」という言葉を避けるのだろうか。

恐らく、この言葉は当事者には今ひとつピンと来ないのであろう。

そもそも商店街とは、活性化されるものなのか?

或いは、活性化とは、そもそもどういうことなのか?

その活性化は、自分たちにとって本当に良いことなのか?

店主たちからすると「売上げアップ」ならば心動かされるかもしれない。

耳障りは良いが、内容がよく分からない、ふわふわした言葉でもある。

まちが活性化したところで、俺の店には関係ない、

という店主たちの声もよく聞く。

つまり「商店街活性化」は、必ずしも「売上げアップ」を意味しない。

しかし外部の人たちは加盟店の増収増益よりも

「商店街活性化」の方に主眼を置いているように見受けられる。

お互い、求めている姿が異なるため、話が噛み合わないのである。

更に言えば、相手のメリットがどこにあるかもお互い理解できていない。

 

「商店街活性化」は、当事者の心を閉ざす怪しい呪文として、

今後ますます胡散臭さを増していくことだろう。

そしてこの怪しい呪文が、なぜ両者の間に見えない壁を築いてしまうのか、

その分析は、いずれ稿を改めて考えてみることにしたい。

 

#地域社会 #商店街 #地域団体 #商工会