まちと理性 ―商店街を知るための内視鏡的視座―

商店街内部(事務局職員)の視点で地域社会を考える

事務局は、出しゃばるな

私が商店街事務所に就職して間もない頃、

元事務局長だった先輩から繰り返し教えられたことがある。

「事務局は、出しゃばるな」というものだ。

当時、このことで何度も注意されたのを覚えている。

元事務局長の先輩は「事務局はお留守番だ」とも言っていた。

「お留守番」とは、ずいぶん怠慢な心構えだな、と私は閉口したものだ。

しかしながら、「お留守番」の本当の意味が理解できたのは、

実はつい最近のことだった。

初め私は、商店街活動をなぜ事務局が手伝ってはいけないのか

さっぱり理解できなかった。

実際、事務局の仕事はほとんどが商店街活動の手伝いに他ならなかった。

そのうちに「出しゃばる」の意味は、表舞台に立つことだと考えた。

つまり事務局は黒子に徹して、裏方の仕事をきっちりやる、

そういう意味なのだろうと理解した。

事務局が前面に立ってしまうと、役員の面子が潰れてしまう。

役員に恥をかかせてはいけない。

そういう配慮もあるのではないかと。

ある意味で、その理解は間違っていなかった。

しかし今考えれば、それだけでは不充分だったのである。

 

商店街組織の役員は、加盟店の人たちが担っている。

役員の多くは、古くからある店舗の2代目、3代目であり、

その町で生まれ育った生粋の商人たちであることが多い。

彼らはお店の仕事をしながら、商店街の運営も見なければならない。

店舗の経営だけでも忙しいのに、その傍ら

商店街の組織運営に携わるというのは、大変な負担である。

サラリーマンと違って、商人の労働時間は一般に長くて際限が無い。

しかも大抵の場合、商店街は役員報酬を支給していない。

私が所属した商店街も、役員は無報酬で働いていた。

自分たちの利益のためとはいえ、まことに気の毒としか言いようがない。

そのことがよく分かるだけに、つい何でも業務を引き受けてあげたくなる。

それが嘘偽りの無い心情である。

何しろ、こちらは給料をもらって働いているのだから。

 

しかし、役員の代りに引き受けることのできる業務には限りがある。

例えば、判断を要する仕事は事務局で代行する訳にいかない。

AかBか、どちらにするか、事務局が勝手に選ぶことはできないのである。

そこで、決裁だけを役員に求めることになる。

決裁の手前までの雑多な業務は事務局で済ませておく。

どこの組織でも、そういう雑用は、部下なりアシスタントなりが片付けて、

責任者が判断を下し、指示を出すようになっているはずだ。

しかし、その時に問題となるのは、判断に必要な材料提供である。

役員が判断しやすいように配慮するあまり、

あらかじめ材料をシンプルに省略し過ぎてしまうことが多々ある。

更には、材料をこちらで恣意的に選んで提示することもできなくはない。

そうかといって、全部の材料を提示すると時間ばかり取られてしまう。

その兼ね合いが難しい。

総合的な判断を下すには、直接的な材料だけでは充分とは言えない。

常日頃から様々な案件に接し、知識、経験を積んでいなければ

理解できない問題も多いだろう。

実際に自分で目にしたり、聞いたり、立ち会ったりしなければ

詳細を把握することができない事柄もある。

結局のところ、材料を絞れば絞るほど、責任者の判断力は鈍ってしまう。

そこで役員は、次第に判断を事務局に委ねるような体質を帯びて来る。

しかし、これではそもそも役員が存在する意味がなくなってしまう。

事務局は商店街の意思決定機関ではないから、

形式的であっても、必ず役員会で決済していかなければならない。

こうして組織の担い手は形骸化し、自己運営能力の低下を招いてしまう。

組織として、これが死活問題であることに、気づく者は多くあるまい。

 

実は商店街振興組合の場合、

「事務局」は組合本体とは別枠に位置づけられている。

商店街に限らず「事務局」と名の付く組織は

概ね当該組織とは別枠で設置されていることが多いはずだ。

例えば、教育委員会や議会の事務局がそれに当る。

議会はあくまでも選挙で選ばれた議員たちによって構成されるものであり、

議会で働く事務員は、当然のことながら議会そのもののメンバーではない。

そのため議会そのものとは別に事務局を設置して、事務員が雇用され、

事務処理に当っているのである。

議会事務局の事務員は、もちろん議決権を持たず、議会に出席する権限もない。

ただ議会運営に必要な事務処理を行うために、言わば黒子として

議場に存在するに過ぎない。

事務員が、いくら議会運営に詳しいからといって、

議員が事務員に議決の判断を委ねることなどあり得ないことである。

商店街の事務局も同じ理屈だ。

基本的に事務局職員は、役員ではないし、組合員ですらないのである。

言ってみれば、国会議員でないどころか、国民ですらない、

という立場に当たる。

国民ですらない者に、国会の議決を委ねることがあるとしたら、

それはもはや独立国家とは言えないだろう。

商店街の事務局も同じ理屈である、はずだ。

ところが実際には誰も、そうは思っていない。

 

私とて、商店街と事務局の間にそこまで厳格な線を引くつもりはない。

ただ、原理原則で言えば、そういうことになる、

ということだけは、押えておく必要があるだろう。

お店の人たちがいくら多忙であっても、

実質的な商店街の運営を事務員が担ってしまったら、

それはもはや商店街とは言えない危険性をはらんでいるのである。

そのことを、元事務局長の先輩は知り抜いていたに違いない。

「お留守番」というのは、本来そこにいる人が不在にしている留守中だけ

当人に代わって見張りをする役目を指す。

つまり、本来その職務に当たるべき役員がたまたま不在なので、

その代りにそこで番をしているだけなのだ。

事務局たるもの、そこを弁えておけ、というのが先輩の真意であろう。

もはや先輩たちは鬼籍に入り、その言葉を聞くことはかなわない。

私は自分なりに14年間、一生懸命努力してきたつもりだった。

しかし、懸命に働けば働くほど、店の人々と商店街運営の距離は

むしろ広がっていくようにも感じていた。

いま思えば、出しゃばり過ぎだったのだ。

そのつもりも無いのに、お留守番が家主のような顔をしていたのだ。

ようやく私は気がついた。

そして今度は、商店主たちが気づく番である。

事務局は、出しゃばるな。ただ、お留守番であれ。

 

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