まちと理性 ―商店街を知るための内視鏡的視座―

商店街内部(事務局職員)の視点で地域社会を考える

私事

3年が経過して、私自身の立場が変わり、その変化から日々刺激を受けている。

いつか、そうしたことについても書いていこうと思いつつ、歳月が流れた。

商店街事務局を離れ、もう少し広い地域産業の支援機関に身を置いて2年半。

途切れ途切れのメモ書きとして、この場を活用できるかどうか。

まだ模索の中にある。

 

日替わり店舗の功罪

日替わり店舗をご存知だろうか。

日替わりと言っても、たいていの場合、3日間から1週間くらいの単位で、

異なるお店が次々と交代して営業する店舗形態のことである。

商店街業界では「ワンデーショップ」などとも言われている。

一般的にはサブリースと呼ばれ、サブリース専門の業者が店舗を借りて

その店を更に別の業者に又貸しするので「サブリース」と呼ぶのである。

家主から店を借りたサブリース業者は、自分では商売をしない。

専ら様々な業者に対して店を貸し出し、レンタル料を徴収して収益をあげる。

借りる側も、こうしたワンデーショップだけを巡回する専門の業者が多い。

もちろん固定で直接店を借りた方が家賃は安く済むはずだ。

それでもレンタル店舗を利用するのは、契約金や権利金、設備等々

様々なリスクを背負い、多額な資金を用意しなくて済むことや、

店舗の賃貸契約を結べない事情があるなど、理由は色々あるのだろう。

また、長く営業すると客に飽きられるという側面も無視できない。

数日単位で違う町を転々とした方が、よく売れる業種もあるだろう。

 

方や商店街を運営する側としては、商店会へ加入してもらえなかったり、

イベントに参加できなかったり、運営のお手伝いをしてもらえない

といった理由で、ワンデーショップは歓迎されない業種とされている。

私の所属していた商店街でもピーク時には6箇所程度ワンデーショップが

展開していたが、幸いどの業者も組合には加入し、会費も負担していた。

但しその店を利用する日替わり業者は、イベントなどに参加できないから、

一般の組合員と同じように扱うことはできない。

また、お客さんとトラブルを起したり、ゴミの不法投棄をして立ち去るなど、

厄介なことが多かったのは事実である。

中には地域の顧客を獲得して定期的に出店する顔馴染みの業者もいたが、

低質な商品を扱う業者や悪徳業者まがいの輩も見受けられた。

また商店会がワンデーショップを管理していると勘違いされることも多く、

次にどんな業者が来るのか、先週までいた業者の連絡先を知りたいといった

問合せや苦情がしばしば商店街事務所に寄せられる。

しかし日替わり業者の連絡先まで管理しきれないので対応に苦慮していた。

 

ところで最近ある論文を読んで、少々驚かされたことがある。

「賑わいのある商店街の現状―新小岩駅前ルミエール商店街の事例―」

梁国響氏著(『国士舘大学地理学報告』21号/2013年)という論文である。

この中で、商店街利用客の行動追跡調査を行った結果、約4割の客が

ワンデーショップを利用しているという驚きのデータが報告されている。

しかも商店街の活性化にワンデーショップが一定の効果を与えている

という点も併せて指摘されているのである。

確かに、いつも同じ店舗が、変りばえのしない商品を売っているよりも、

駅構内の出店や、お祭りの屋台に人が吸い寄せられるように、

好奇心をそそる目新しいお店が一定の魅力を持つことは否定できない。

管理が行き届かないことによる様々な弊害はあるものの、

ワンデーショップは商店街につきまといがちなマンネリズム

或る程度解消してくれる有効な手段と見ることもできるだろう。

課題としては、上記の「管理」という問題と、商店街ごと地域ごとに異なる

客層や商店街の姿勢、戦略とのマッチングの問題も考えられる。

ここがうまく噛み合えば、新たなビジネスチャンスの余地があるかもしれない。

 

さて、上記の梁氏論文では、商店街繁栄のひとつの指標として

不動産の「所有と利用の分離」について注目しており、これにも驚かされた。

すでに一部の識者が指摘していることではあるが、商店街における不動産の

所有と利用の分離、つまり店舗利用の流動化が街の活性化を促すという

ひとつの考え方が示されており、ワンデーショップもそうした流れの中で

理解されているのである。

これについて私は是とも非とも判断する能力を持たないのであるが、

店舗がテナント店化して、家主と店主が分離していくという問題は

間違いなく商店街問題の本質的テーマであると実感しているので、

非常に的を得た視点と分析にますます驚かされた次第である。

しかもこの論考は学部生によって執筆されており、更に驚愕である。

久し振りに心騒ぐ論説を得た。

 

尚、不動産所有と利用の分離というテーマは、以前にこのブログの

アントレプレナーシップ」のところで触れた問題や

「外国人と地域商店街の現代事情」の回で触れた不動産所有の

海外流出問題ともつながるテーマであり、またいずれ取上げてみたい。

 

#地域社会 #商店街 #地域組織 #サブリース店舗 #ワンデーショップ

 

閑話休題③ 地域情報難民

商店街の事務員を辞職してから、地域の情報が入って来なくなった。

閉店や開店する店の情報はもちろん、火事や事故、町の役員さんの訃報、

イベントや説明会、テレビ撮影の情報に至るまで、知らないことばかりだ。

考えてみると、商店街事務所という場所は、黙っていても地域の情報が

次々と舞い込んで来るところで、日々最新の情報にどっぷり浸かっていた。

しかし職場や地域の人々とあまり交流が無くなり、ただの住民になると、

途端にそうした情報から遮断されてしまった。当たり前の話である。

テレビやインターネット等で得られる情報は、社会一般の事柄ばかりで、

近所の出来事はもちろん何一つ伝えられない。

今こういう境遇になってみて、改めて思い知らされたわけであるが、

この状態こそが、むしろ普通のことなのであろう。

 

近所の出来事ほど情報が得にくいものは無い。

どこにも書かれていないのだから調べようがないのである。

仮に書いてあったとしても、ごく限られた告知によるものであり、

住民誰もが等しく受取れるような方法で知らされるものはごく希である。

自分から積極的に、街なかでキョロキョロとアンテナを張ってみても、

地域の情報は思いのほか見つからないものだ。

それよりも知人を通して口コミで広がる情報の方が、圧倒的に早くて多い。

但し、それらの情報は根拠の無いものばかりでリスクも大きいのだが。

家族もなく、友人知人もいない一人暮らしの老人なら、いくら努力しても

「地域情報難民」になるのは当然のことだろう。

この町に10年以上住んでいるが、そんな話は初めて聞いた、

という声を、時々様々な場面で耳にしたが、それはこういうことだったのか

と今になって理解できた。

 

では、一体どのようにして近所の情報を「噂」や「デマ」ではなく、

正しく適切に住民へ伝えたら良いのか、そこが深刻な問題だ。

地域の情報は、知らなくても一向に差し支えないものも多いのだが、

「噂」や「デマ」による誤解が広がることは避けなければならない。

間違った情報によって時に大事な判断を誤ることもあるからだ。

 

ここで話は飛躍するが、このことは、いま世界各地に出現している

偏向思考の指導者たちの台頭と無関係ではない、という気がしている。

彼らを支持する人々は「地域情報難民」と似た状況にあるのではないだろうか。

「噂」や「デマ」と同質のフェイクニュースが社会に蔓延し、氾濫した結果、

適正な情報は相対的に希少化され、探し出す手間がかかるようになっている、

と巷のあちこちで指摘されている通りである。

今やマスメディアですら、情報提供者としての役割を果せていない有り様だ。

大本営発表が白々しくなった時、人々が神風を信じてしまったように、

もはや一部の大衆は正常な判断ができる精神状態にないのではないだろうか。

 

このように質の高い情報からの隔絶が妄想と狂気を生み出すのだとすれば、

地域社会の合意形成が困難を極めるのも当然のことだろうと理解できる。

非論理的な思考回路の人々が地域社会で一定の割合を占めているのは、

適正な情報が行き届いていないことに一因があるのかもしれない。

従って、地域情報と同じくらい社会一般の情報が質を低下させた時、

国家や組織の合意形成もますます困難になっていくことだろう。

 

例によって話が飛躍しすぎたので、もうこの辺で妄想はおしまいにしよう。

このブログも、妄想と狂気の量産に加担する類いに違いあるまい。

 

#地域社会 #地域組織 #情報難民 #フェイクニュース

 

機敏で柔軟な地域力の記憶

以前このブログで、商店街組織や地域社会の議論不足について触れた。

商店街創設期、創業者たちは繰り返し議論を重ねたはずだが、

後継者たちは、その議論の成果を継承して来なかったのだと書いた。

このことは、かつて零細小売商の強みだったはずの柔軟さや自在さが、

近年すっかり失われてしまっていることと無関係ではないように感じている。

 

商店街が地域商業の中核を担っていた時代、周辺環境の変化や

競合店の動きなどに目聡く反応して、大胆に取扱商品を一変させたり、

業種業態まで変えてしまう店舗も珍しくなかった、という話を聞く。

こうした機敏で柔軟な対応は、かつて零細小売商の得意とした戦術で、

むしろ大資本の方が小回りの利かない業態だったはずである。

ところが今は、まったく逆転してしまっているような印象を受ける。

零細小売商はいつまでも従来の方法に固執して旧態依然としている一方、

大手ショップは大胆に店舗形態をチェンジして時代の変化に対応している。

創業者には容易だった業種転換も、後継者には抵抗があるということなのか。

もちろん自営業者には雇用保険のような補償制度がないから、

サラリーマンが転職するように自由な動きは取りづらいだろう。

社会が複雑化、専門化したことも柔軟な対応をいっそう困難にしている。

しかしその一方で、まちの中には新しくて面白いことを始めようとする

たくましい動きが各地で芽生えており、鈍感な地域小売商を尻目に、

やる気ある仲間だけで、できることから形にしていく活力を感じることも多い。

また技術の進歩により、そうした取組みを容易にするツールも近年充実し、

彼らのチャレンジを後押ししている側面も大きいだろう。

まちが潜在的に秘めるこうしたたくましさが、やがて無視できない力となり

既存の地域小売商の姿を変えていくエネルギーに育っていくかもしれない。

そうした可能性に期待を寄せる人々も少なくないようだ。

 

藻谷浩介対談集『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社、2014年3月)

所収、新雅史氏との対談「「商店街」は起業家精神を取り戻せるか」の中で、

まちの「アントレプレナーシップ起業家精神)」という言葉が提示される。

これは、新たに起業するという意味に留まらず、商人が状況に応じて

イチからやり直す、自在に環境の変化に対応していく柔軟なバイタリティも

含めての「起業家精神」なのだろうと思いながら拝読した。

 

敷かれたレールの上なら或る程度の惰性で走ることができる。

但し、レールの方向にしか進むことができない。

自力で道なき道を走るには、膨大なエネルギーが必要だ。

但し、思った方向にどこへでも進むことはできる。

目まぐるしく環境が変わってしまう時代となり、

レールを敷設する効率効果が得られにくくなっているのだとしたら、

頼るべきは自分の足であり、目聡く変化を嗅ぎ分ける嗅覚なのかもしれない。

近代家族経営モデルの崩壊が、次にどんな時代を作っていくのか、

という問題とともに、このテーマには再び触れることになるだろう。

 

#地域社会 #商店街 #地域小売商 #近代家族経営モデル

 

閑話休題② 通行量調査の不思議

商店街の繁栄度合いを示すデータとして、通行量というものがよく使われる。

その街のおおよその様子を知るための基礎データとして

1日の通行量何万人という数字が目安にされている訳である。

商店街に携わる者として、かねがね私は不思議に思っていたのだが、

通行量調査は、実は基準が曖昧で、他の街と単純に比較することが難しい。

何時から何時までを計測し、平日か休日か、天気や気温などの環境、

自転車やバイクを含めるのか、親に抱かれた子供も含むのかといった

統一の基準があるわけではないのである。

そうした条件は、計測される度毎に異なっているため、

同じ場所で測定したデータでも単純に比較できないことが多い。

にも関らず、目安として利用されているのは、何とも不可解である。

 

どのような条件で測定するかは、依頼主と調査する者とが話合って決める。

私が関係した調査では、ほとんどが調査機関の判断で条件を設定しており、

どちらかというと、こちらはお任せする形に近かったように思う。

多くの場合、店舗の大半が営業する時間に合わせて10時~19時に計測し、

平日の雨が降っていない日を選び、自転車、徒歩、ベビーカーなどの分類、

性別、方向などの区別をデータに盛り込んで、1時間ごとに数字を出した。

調査員が交代で絶え間なく計測する場合もあれば、30分計測して2倍したり、

15分計って4倍することも希にあった。

 

このように通行量調査の基準は一定していないのだが、過去の調査と比較して

大きく数字が変わるということもほとんど無かった。

もちろん計測する時間を長く取れば、数字は増えるし、

通勤通学の時間帯を含めて計測すると、その数字も大きく変わる。

繁華街などで計測する場合、通行目的が判別できず、早朝から深夜まで

計測時間に含めていることもあるかもしれない。

従って、通行量は単純に比較しても厳密にはあまり意味が無いものであり、

詳細な計測条件を考慮した上で比較検討すべきデータであると言えるだろう。

 

ついでに言うと、こうしたデータについて商店街支援者(診断士や役所)は

熱心に関心を寄せるのだが、商店主たちはあまり興味を示さない。

毎日店頭で接客しているので、肌感覚で感じ取る印象の方が正しいと

思っているからであろう。

データを出しても、そんなことはない、数字が間違っている、と

否定して受け入れようとしない商店主もいる。

通行量調査では、買い物目的なのか、ただ通行しているだけなのか、そこまで

計測している訳ではないから、肌感覚の方が実態に近い場合もあるだろう。

通行量調査は不要だ、と言うつもりはないが、

データの意味を評価するのは人間であり、最終的に人間がどう判断するのか、

という部分に問題の本質があることは見失わないようにしたいものである。

 

#地域社会 #商店街 #通行量調査

 

何のために福引セールをしているのか

なぜ自分たちが商店街をやっているのか、という議論に続いて、

何のためにその活動、その事業をやっているのか、という議論をしてみよう。

我々は、うっかりすると、いつも手段としてやっていることが

いつの間にか目的に変わってしまいがちである。

例えば、毎年、福引セールを開催している商店街は多いのだが、

なぜ福引セールをしているのか、という点に関して、

果たして加盟店相互に理解が共有できているのであろうか。

なぜですか?と質問して、即答できるお店がどれだけいるだろう。

「なぜって、店の売上げを上げるためでしょう」と答えるかもしれない。

その通り。福引セールは手段であって、目的ではない。

目的は「店の売上げを上げる(増やす)」ことにあるのだ。

ところが毎年の行事と化して、事業を消化することが目的となってしまう。

本来の目的がどこかへ消えてしまい、店の売上げを検証することまで

できていない商店街は少なくないだろう。

では、なぜ「福引セール」という手段を選んでいるのですか?

その質問には、どう答えるであろうか。手段は他にもあるはずではないか。

「なぜって、いつもやっているからでしょう」と答えるかもしれない。

或いは「他に良い方法が見つからないから」と答える人もあるだろう。

福引セールは果して加盟店の売上げに貢献しているのか。

他の販促ツールとどこがどう優れているのか。本当に他の方法が無いのか。

改めて議論している商店街は、そう多くないに違いない。

 

私は商店街の中にいて、いつも福引セールの効果について考えていた。

改めて説明するまでもないと思うが、福引セールの基本的なしくみは、

商店街が景品費を捻出するために加盟店へ福引券を割り当てて販売し、

加盟店は買取った福引券を買い物客に一定のルールで配布する。

買い物客は受取った福引券で抽選を行い、様々な景品が当るという催しだ。

福引券を売った資金で商店街は景品を用意する訳である。

多くの場合、景品は商店街のお買い物券が提供される。

というより、実は福引セールの主たる目的はお買い物券をバラ撒くことにある

と言っても過言ではない、と私は考えている。

つまり、加盟店の売上げを増やすための手段として、加盟店でしか使えない

金券を《効果的に》バラ撒いて、無理やり買い物をしてもらう、

というのが福引セールの狙いなのである。

購買心理とは不思議なもので、通行人にただ金券をバラ撒いただけでは、

効果的な購買には結びつきにくいものらしい。

「金券が当りました!」「あなたは幸運です!」

という状況をわざと演出した上で、お買い物券を進呈した方が、

単にバラ撒くよりも遥かに購買意欲を高める効果があるらしいのである。

なるほど、ちょっと分かるような気もする。

また不思議な心理として、500円の金券が当った人は、500円使った上に

あと500円使っても損はしない、という錯覚を覚える効果があるという。

つまり商店街で提供した金券の2倍くらいの経済効果を生む可能性があり、

そこに加えて「ついで購入」の効果も期待できる。

もっとも、そのうち金券の発行額分は、商店街の負担ということになる。

お店の側は、福引券を購入する経費負担があり、それを補填する売上げが

補償されている訳ではない。まち全体としての効果を見なければならない。

うまく理解が得られないと加盟店の不満を買うことになりかねない。

福引券の取扱店が減ってしまうと、利用客の不満が増大し、逆効果にもなる。

この点が福引セールの難しい部分である。

 

また、福引セールには、上位商品を豪華にすることで射幸心を煽り、

利用客のセール参加(つまり購買)を促進する効果もある。

福引を引きたいがために、ついつい不要な買い物をしてしまうお客さんが

一定数存在することも確かである。

但しこれらの前提として、バラ撒く金券自体に魅力が無ければ効果は薄い。

せっかくお買い物券が当っても、使える店が限られているなど、

金券としての利用価値が低いと、集客効果も限定的となってしまう。

また使用期限を1~3ヶ月以内に設定するなど細かい工夫も必要だ。

 

もうひとつ目に見えない効果として、利用客の習性による効果が考えられる。

人にもよるが、我々は或る期間、同じ店舗を利用してしまう習性を持っている。

一度その店を利用すると、近いうちに再びその店をつい利用してしまう、

という習性で、何度か利用すると、また別の店に興味が移ってしまう。

この習性は、ポイントカードなどの利用状況データを分析すると、

必ず一定の割合で見ることができる現象である。

そこで、繰り返し商店街の金券を利用してもらうことで、

何度も同じ商店街に足を運ばせる習性を維持する効果が期待できるのである。

従って、一定の期間を置いて何度も金券をバラ撒くことがより効果的となる。

最低、年に2回、夏と冬に福引セールを実施することは、条件を満たせば

目的に沿った手段として非常に有効であると考えられる。

もし福引セールを実施しても効果が実感できなければ、上記の条件の中に

何か問題点があるはずである。改めて点検すべきであろう。

 

何のために福引セールをしているのか。

それは効果的な金券流通による販売促進のための有効な手段であるからだ、

と全店舗が即答できたら、苦労は要らない。

ここにも合意形成、議論不足という壁が立ちはだかっているように感じる。

 

#地域社会 #商店街 #商工会 #福引セール #合意形成

 

 尚、しばらくの間、当ブログは夏休みに入ります。

また涼しくなった頃に再開する予定です。

 

商店会の存在意義と小学3年生

商店街の理念を打出すためには「合意形成」が必要だ、と以前書いた。

「合意形成」のためには時間をかけてとことん議論しなければならない。

成果のある議論をするためには、話し合う技術を身に付けなければならない。

いかなる議論も、技術と準備なしには結論を見出し得ないのだ、

と以前このブログで私は書いた。

このことは、様々な別の問題においても当てはまるのだと思う。

商店街に限らず、私が関係した様々な地域の話合いの場において、

そのほとんどが議論不足のものばかりであったと感じている。

時間の制約がある上に、話し合う技術も未熟であるため、

充分に議論が尽くせないのは、ある程度、仕方の無いことかもしれない。

それにしても、商店街はあまりに議論をしない組織だと思う。

もちろん例外も多くあるとは思うが、周囲を見渡す限り、そんな印象だ。

恐らく、商店街というものが創設された時代には、創業者たちによって

繰り返し繰り返し、議論が重ねられたに違いない。

ところが、相続税のかからない商店街環境という財産を

タダで相続した後継者たちは、議論の成果まで継承しているように思えない。

いまもう一度、議論すべき時に来ているのではないかと私は考える。

《なぜ自分たちは商店街をやっているのか》という問題について。

 

そこで、議論しない人たちに代わって、いまここで

試みに少し考えてみることにしよう。

といっても、差し当たりここで考えるのは、

《議論のきっかけ》という程度のものに過ぎないかもしれない。

 

商店街事務所の仕事に、小学校の社会科見学対応という業務があった。

私は毎年、3年生の子供たちに商店街の業務内容や工夫について説明した。

なぜお店の人たちは商店会という会を作って活動をしているのか、

子供たちに分かりやすく説明しなければならなかった。

初めに説明するのは、1店舗が1万円かけて宣伝する場合と、100店舗が

1万円ずつ出し合って100万円かけて宣伝するのと、どちらが有利ですか

という問いかけである。答えは明白だ。

大人の言葉で言えば「スケールメリット」である。

次に、八百屋さんが1店舗で商売するのと、魚屋さん、パン屋さん、美容室、

洋服屋さんが集って商売するのと、どちらがたくさんお客さんが集りますか、

と質問する。これは多業種構成のメリットである。

更に、八百屋さんが1軒しかない商店街と、2軒3軒ある商店街とでは、

お母さんはどちらを利用すると思いますか、と尋ねる。

こうして、零細小売業者が1店舗では成立たないことを説明していく。

私はいつも説明しながら、商店街の当事者も、小学校3年生に戻って、

もう一度ここから議論を積み上げていくべきなのではないかと感じていた。

なぜ自分たちが商店街活動をしているのか、自分自身でしっかり理解しないと

他の人にその必要性を説明することができなくなってしまうからだ。

深刻なことに、店主たち自身でさえ商店街が必要だと思っていない節があり、

「やらされている」「仕方なくやっている」という本音が

思わず透けて見えてしまうことも少なくない。

これでは、新規出店者に加盟してもらうことなど出来るはずがない。

 

なるべく大勢の多種多様な店舗が、みんなで協力しあうことが

商店街という仕組みの最大の強みであることは言うまでもない。

1店舗だけで商売は成立たないのである。

しかし、みんなで協力しあうことが不十分であれば、すぐにその強みは失われ、

逆に矛盾と不満を生み出してしまう弱点にさえ変わってしまうだろう。

その当たり前の原理原則を正しくすべてのお店が自覚するところから、

新しい議論は始まるに違いない。

 

#地域社会 #商店街 #商工会 #合意形成